青木マッチョ

芸能

青木マッチョのwiki経歴・学歴|ラヴィットでブレイク!元消防士から人気芸人へ

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『ラヴィット!』への出演をきっかけに、筋肉と静かなキャラクターのギャップで注目された青木マッチョさん。

高校卒業後は消防士として6年間働きましたが、24歳で退職し、フリーター生活を経て芸人の道へ進みました。

順調に芸能界を目指したわけではないからこそ、その歩みが気になる人も多いでしょう。

この記事では、本名や年齢などのプロフィールをはじめ、東京NSCへの入学、「かけおち」の結成、『ラヴィット!』でのブレイク、2026年8月の解散発表までを紹介します。

さらに、小・中学校時代のエピソードや昭和高校でのラグビー経験、大学へ進学しなかった理由もまとめました。

 

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青木マッチョのwikiプロフィール|本名・年齢・出身地を紹介

青木マッチョさんは、愛知県名古屋市出身の芸人です。

本名は青木陽平さんで、東京NSC27期を卒業しました。

テレビでは筋肉を生かした企画だけでなく、楽器演奏やあみだくじの早解きなど、幅広い特技を披露しています。

まずは、年齢や身長、所属事務所などの基本情報を一覧で確認していきましょう。

項目 内容
芸名 青木マッチョ(あおきマッチョ)
本名 青木陽平(あおき ようへい)
生年月日 1995年7月31日
年齢 31歳(2026年8月現在)
出身地 愛知県名古屋市
身長・体重 180cm・90kg
血液型 B型
所属事務所 吉本興業
NSC 東京NSC27期
主な特技 ピアノ、ドラム、カリンバ、太鼓の達人、あみだくじの早解き、大食い、デッドリフト260kgなど
主な趣味 ソロキャンプ、銭湯巡り、絶叫マシン巡り、謎解き、映画鑑賞

芸名のとおり、青木マッチョさんの大きな特徴は鍛え上げた体です。

吉本興業の公式プロフィールには、デッドリフト260kgが特技として掲載されています。

その一方で、ピアノやドラム、カリンバなどの楽器も演奏できる器用さがあります。

現在は芸人としてテレビや劇場に出演するほか、マヂカルラブリーの野田クリスタルさんが発案した「クリスタルジム」でパーソナルトレーナーとしても活動しています。

2025年の「神7総選挙」では1位に選ばれました。

筋肉は芸人としての見せ方だけではなく、トレーナーの仕事にも生かされています。

 

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青木マッチョの経歴|元消防士から人気芸人になるまで

青木マッチョさんの経歴には、消防士、フリーター、芸人という大きな転機があります。

最初から芸能界を目指していたわけではなく、上京後にお笑いの道を選びました。

ここからは、消防学校へ入った18歳頃から『ラヴィット!』で注目され、「かけおち」の解散を発表するまでを時系列で紹介します。

 

18歳で消防士に!消防学校での訓練と6年間の勤務経験

青木マッチョさんは高校卒業後、18歳で愛知県内の消防士になりました。

採用後は消防学校に入り、約半年間にわたって訓練や座学を受けています。

消防学校では、火災現場を想定した訓練のほか、敬礼などの規律訓練、ランニング、筋力強化、消防活動に必要な知識を学びます。

青木マッチョさんは体力に自信がありましたが、大きな声や素早い集団行動を求められる環境には苦戦しました。

本人のエッセイによると、入校2日目には一度実家へ帰ったそうです。

厳しい環境に戸惑いながらも消防学校を修了し、消防署へ配属されました。

勤務は1回につき24時間で、出勤日数は月に10日ほどだったと本人が説明しています。

まとまった休みには一人旅へ出かけ、楽器などの趣味にも時間を使いました。

しかし、仕事では思うように動けない場面もありました。

消防機材や設備の知識がなかなか身につかず、緊急時に大きな声を出すのも苦手だったと明かしています。

社会人1年目には提出物を出さず、先輩から注意を受けた時期もありました。

それでも、6年間の消防士生活から得た経験は少なくありません。

上下関係や仕事と私生活を切り替える大切さを学び、社会人としての基礎を身につけました。

後に芸人となってからも、消防士時代に学んだ礼儀や人との接し方が役立っているそうです。

 

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24歳で消防士を退職!上京後のフリーター生活から東京NSCへ

青木マッチョさんは2020年3月末、24歳で消防士を退職しました。

ただし、この時点で芸人になると決めていたわけではありません。

まず東京へ行き、これまでとは違う生活を始めたいという思いが退職を後押ししました。

2020年の3月末、自分は6年間勤めた消防士を辞めました。

引用元:ダ・ヴィンチWeb

兄2人はすでに結婚し、子どもや家、車を持っていたそうです。

そんな兄たちの姿を見て、家族を安心させる役割は任せてもよいと考えるようになりました。

安定した消防士を続けるより、自分が楽しいと思える道へ進む決断をしたのです。

退職後は上京し、約1年間フリーターとして生活しました。

自由な時間が増えた青木マッチョさんは、YouTubeでお笑い芸人の動画を見るようになります。

もともとお笑いが好きだったため、楽しそうな世界だと感じ、吉本興業の養成所へ入る決心をしました。

長い間抱いてきた夢を実現したというより、フリーター生活の中で芸人という進路を見つけた形です。

2021年には東京NSC27期へ入学しました。

同期にはCRAZY COCOさんや、いぜんさんらがいます。

消防士を辞めてから約1年の空白があったからこそ、自分の進みたい方向を落ち着いて考えられたのでしょう。

「元消防士が芸人を目指して一直線に上京した」という説明は分かりやすい反面、本人の歩みとは少し異なります。

 

2022年に「かけおち」でデビュー!トリオからコンビへ

青木マッチョさんは東京NSC在学中、同期の赤木ぼうずさん、鈴木ロン毛さんと3人で活動を始めました。

赤木ぼうずさんは、後に赤木細マッチョへ改名しています。

NSC在学中には『ぐるぐるナインティナイン』の企画「おもしろ荘」の最終オーディションまで進みました。

卒業後の2022年4月1日、吉本興業の公式プロフィール上で「かけおち」を結成し、プロとして活動を開始しています。

時期 「かけおち」の動き
NSC在学中 青木マッチョ、赤木ぼうず、鈴木ロン毛の3人で活動
2022年4月 吉本興業所属のトリオとしてプロデビュー
2023年 『さんまのまんま新春SP』のおすすめ芸人コーナーで村上賞を受賞
2024年10月 鈴木ロン毛が脱退
2024年11月以降 青木マッチョと赤木細マッチョのコンビとして活動

結成当初は、鈴木ロン毛さんと赤木さんが主に会話を進め、青木マッチョさんが寡黙な筋肉担当として加わるネタを披露していました。

3人の異なる見た目と性格を生かした構成が特徴です。

2024年10月に鈴木ロン毛さんが脱退すると、「かけおち」は青木マッチョさんと赤木細マッチョさんのコンビになりました。

青木マッチョさん個人のテレビ出演が増えた後も、2人は劇場やライブで活動を続けています。

 

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『ラヴィット!』出演でブレイク!筋肉と楽器のギャップで注目

青木マッチョさんが全国的に知られるきっかけとなったのは、TBS系『ラヴィット!』への出演です。

2024年5月23日から木曜日の放送に10週連続で登場し、短い期間で知名度を高めました。

番組出演につながった特技の一つが、あみだくじの早解きです。

その後も怪力、足の速さ、楽器演奏などを披露しました。

成功した場面だけでなく、特技に失敗した後も表情を大きく変えない姿が笑いを生み、番組ならではのキャラクターが形になっていきます。

迫力のある体でカリンバを静かに演奏する姿も、青木マッチョさんの名前を広めました。

東京NSC時代には、東西の若手約1,400人が参加した特技動画の企画で、筋肉を見せながらカリンバを演奏して優勝しています。

『ラヴィット!』では、NSC時代に見つけた「筋肉と楽器」の組み合わせが、さらに多くの視聴者へ届きました。

  • 体格が大きい一方、声や話し方は静かです
  • 罰ゲームを受けても表情を大きく変えません
  • 筋力だけでなく、楽器や早解きも得意です
  • 前へ出すぎない受け答えが笑いにつながっています

明るく声の大きなマッチョ芸人が多い中、青木マッチョさんは「暗くて静かなマッチョ」という立ち位置を選びました。

無理に周囲と同じ見せ方をするのではなく、控えめな性格を個性として生かしたのです。

番組MCの川島明さんについて、青木マッチョさんは次のように語っています。

川島さんと『ラヴィット!』のみなさんとのご縁がなかったら、今この場に自分はいないです

引用元:ENCOUNT

ブレイク後は『嗚呼!!みんなの動物園』で保護猫の預かりボランティアを経験しました。

さらに、ドラマ出演やYouTubeチャンネル「孤独のマッチョ」など、テレビの外にも活動を広げています。

 

【2026年】「かけおち」が8月30日で解散!今後の活動は未定

2026年8月26日、青木マッチョさんと赤木細マッチョさんは、「かけおち」を同年8月30日付で解散すると発表しました。

突然の報告でしたが、赤木細マッチョさんからは約1年前にも辞めたいという相談があったそうです。

青木マッチョさんは一度引き止め、2人で活動を続けてきました。

しかし、最終的に赤木細マッチョさんの意向を尊重する形となり、コンビとしての活動に区切りをつけます。

赤木細マッチョさんは2026年9月末で芸人を引退する予定です。

青木マッチョさんは、NSC時代から約6年にわたって活動した相方への感謝を伝えています。

一緒に活動してくれた細マッチョには感謝です。

引用元:オリコンニュース

気になるのは、解散後の活動です。

青木マッチョさんは、今後どのような形で活動するかは決まっていないと発表しています。

そのため、現時点で「ピン芸人へ転向する」「新しいコンビを結成する」と断定するのは正確ではありません。

ただし、すでに個人でのテレビ出演やトレーナー活動、YouTube、俳優業などに取り組んでいます。

2026年9月25日には、初出演映画『藁にもすがる獣たち』の全国公開も予定されました。

同作では、おかっぱ頭のヤクザという個性的な役に挑戦しています。

「かけおち」の解散は大きな節目ですが、青木マッチョさん自身が芸能活動を終えるわけではありません。

消防士を辞めて上京した時と同じく、進む方向を急いで決めず、自分に合った道を探している段階なのでしょう。

筋肉、楽器、トレーニング、キャンプ、演技と、すでに複数の強みを持っています。

これから何を軸に活動していくのか、正式な発表を待ちたいですね。

 

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青木マッチョの学歴|小学校から高校・大学までの学生時代

青木マッチョさんの学生時代をたどると、現在の活動につながる経験が見えてきます。

各時期の部活動や習い事についても、本人が語った内容を中心に整理しました。

 

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出身小学校は名古屋市立鳴海東部小学校?目立つのが苦手だった少年時代

名古屋市立鳴海東部小学校

青木マッチョさんの出身小学校は、愛知県名古屋市緑区にある名古屋市立鳴海東部小学校とされています。

ただし、本人が学校名を明かした資料は見つかっていません。

本人のインタビューによると、小学生の頃は現在とは違って小柄で細身でした。

運動が得意な目立つ児童ではなく、教室で静かに過ごすインドアなタイプだったそうです。

本人は当時の自分を、教室にいる「空気」のような存在だったと振り返っています。

人前に出るのが苦手になったきっかけは、小学3年生の頃にありました。

ある朝、ランドセルを持たずに登校し、学校へ着いてから忘れたと気づいたのです。

手ぶらで教室へ入った姿を同級生にいじられ、恥ずかしい思いをしました。

子どもにとっては、ちょっとした失敗でもズシンと心に残ります。

この出来事を境に、青木マッチョさんは「目立ちたくない」と考えるようになりました。

大人になって芸人を選んだ姿とは正反対ですが、静かな話し方や控えめな性格には、少年時代の経験がつながっているようです。

また、母親の勧めでピアノや英会話なども習っていました。

青木家は男4人兄弟で、青木マッチョさんは兄2人と弟1人に囲まれて育っています。

母親は女の子に習わせたいと考えていたピアノを、兄弟の中でおとなしかった青木マッチョさんに勧めたそうです。

ピアノは後に芸人として披露する特技の一つになりました。

小学生時代は地味に感じた習い事も、長い時間を経て芸能活動の武器になっています。

筋肉とは意外な組み合わせですが、このギャップが青木マッチョさんらしさを作りました。

 

出身中学は名古屋市立扇台中学校?陸上・筋トレ・ドラムに打ち込む

名古屋市立扇台中学校

青木マッチョさんの出身中学校は、名古屋市立扇台中学校とされています。

ただし、本人や吉本興業が中学校名を公表した資料は確認できません。

一方、中学時代の体格や部活動については、本人がインタビューやエッセイで詳しく明かしています。

中学1年生の頃には身長が約176cmまで伸びましたが、体重は約56kgでした。

現在の姿とは違い、かなり細身だったそうです。

街で不良に絡まれる機会が増えたため、見た目を大きくして絡まれないようにしたいと考え、12歳頃から筋力トレーニングを始めました

最初に通った施設は、名古屋市緑区にある名古屋市緑スポーツセンターです。

青木マッチョさんは同施設を「ミドスポ」と呼び、トレーニングルームに通いました。

初めて使った器具は、腕の上腕三頭筋を鍛える「トライセプスエクステンション」だったと、自身のコラムで振り返っています。

学校では、部員約100人の陸上部に所属しました。

入部時の50メートル走は下から2番目だったものの、図書館で走り方を調べ、練習を重ねます。

その結果、最終的には部内で2番目の速さまで成長しました。

ハードルでも上位に入る力を身につけています。

中学1年生の頃にはドラムも始めました

ゲーム「太鼓の達人」が得意だと気づき、実際のドラム演奏へ興味を広げたそうです。

一人で演奏動画を撮影し、YouTubeにも投稿していました。

現在の青木マッチョさんを支える筋肉、運動能力、楽器演奏は、いずれも中学時代に土台が作られています。

最初から順調だったわけではなく、体の細さや足の遅さに向き合いながら、少しずつ得意分野を増やしていきました。

 

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出身高校は愛知県立昭和高校!ラグビー部で県大会ベスト8

愛知県立昭和高等学校

青木マッチョさんの出身高校は、愛知県立昭和高等学校です。

名古屋市瑞穂区にある県立の共学校で、2026年度版の偏差値は62とされています。

学校名 愛知県立昭和高等学校
所在地 愛知県名古屋市瑞穂区玉水町1丁目18
課程 全日制普通科
共学・別学 男女共学
偏差値 62(2026年度版の目安)
部活動 ラグビー部

中学時代の成績は良く、本人によれば、もう少し難しい高校も目指せる状況でした。

それでも昭和高校を選んだのは、生徒が学校生活を楽しんでいるという評判を聞いたからです。

中学校で勉強と陸上に打ち込んだ分、高校では軽音楽部へ入り、明るい青春を送りたいと考えていました。

ところが、入学後の予定はガラリと変わります。

筋トレで鍛えていた体をラグビー部員に褒められ、体験入部へ参加。

中学まで球技や団体競技を経験していなかったものの、陸上で身につけた足の速さと大きな体がラグビーに合っていました。

体験入部では活躍できたため、「自分はラグビーに向いている」と感じ、そのまま正式に入部します。

しかし、本格的な練習が始まると、タックルの痛さやきびしい指導が待っていました。

楽しい高校生活を思い描いていた青木マッチョさんにとって、予想外のスタートだったようです。

それでも練習を続け、高校1年生から試合に出場しました。

ポジションはセンターです。

体重は高校時代に100kg前後まで増え、ボールを受け取ると足の速さと体の強さを生かして、まっすぐ走るプレーを得意としていました。

昭和高校ラグビー部は、部員の多くが高校から競技を始めたチームでした。

全国的な強豪校ではありませんが、愛知県大会でベスト8に入る力があり、花園出場を目指して本気で練習しています。

高校時代には、後にラグビー日本代表となる姫野和樹選手と合同練習を経験しました。

姫野選手は青木マッチョさんの1学年上です。

高校生の頃から技術も力も周囲とは違い、強いオーラを感じたとラジオ番組で振り返っています。

順調に試合経験を重ねた一方、3年生最後の愛知県予選では大きなけがを負い、試合に出場できませんでした。

1年生から試合に出てきただけに、最後の舞台を外から見守る悔しさは大きかったはずです。

ただ、青木マッチョさんはラグビーを嫌いになったわけではありません。

激しくぶつかり合う競技だからこそ、仲間には責任感や思いやりのある人が多かったと語っています。

きびしい3年間を続けられた理由には、チームメートとの良い関係がありました。

 

大学には進学せず!兄の勧めをきっかけに消防士を志望

青木マッチョさんは昭和高校卒業後、大学へ進学していません

進学校に通っていたため、周囲には大学を目指す生徒が多くいましたが、本人は高校生活の時点で進学への強い希望を持っていなかったそうです。

高校2年生の頃、兄から消防士という進路を勧められました

兄の同級生が消防士として働いており、やりがいのある仕事だと聞いたのがきっかけです。

青木マッチョさんは中学1年生から筋トレを続け、高校ではラグビー部に所属していました。

鍛えた体を生かせる仕事として、消防士に関心を持つようになります。

進路を決める際に考えた主な点は、次の3つでした。

  • 大学へ進学したいという希望が強くなかった
  • 筋力や体力を生かせる仕事に就きたかった
  • 公務員である消防士なら家族を安心させられると考えた

消防士は体力だけで採用される職業ではありません。

採用試験には筆記試験もあります。

本人は進学校で学んだ力を生かし、筆記試験ではほぼ満点だったとインタビューで明かしました。

昭和高校で積み重ねた勉強も、進路を切り開く助けになったのでしょう。

大学へ行かなかった選択だけを見て、勉強が苦手だったと決めつけるのは正しくありません。

青木マッチョさんは学力を生かして公務員試験に合格し、高校卒業後すぐ社会へ出ています。

周囲の多くが大学を選ぶ中で、自分の体力と家族への安心感を考え、就職を選んだのです。

 

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まとめ|青木マッチョの経歴・学歴は元消防士から人気芸人への異色の歩み

青木マッチョさんは、名古屋市内の小・中学校を経て、偏差値62とされる愛知県立昭和高校へ進学しました。

中学では陸上、筋トレ、ドラムに励み、高校ではラグビー部で愛知県大会ベスト8を経験しています。

大学には進まず、18歳で消防士の道を選択。

その後は上京や東京NSCへの入学を経て、人気芸人となりました。

2026年8月30日で「かけおち」は解散予定ですが、筋肉、楽器、演技など活躍の場は広がっています。

何度も進む道を変えながら、自分の強みを形にしてきた青木マッチョさん。

次にどんな姿を見せてくれるのか、これからも楽しみですね。

 

 

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