お笑いコンビ『東京ダイナマイト』のツッコミ担当のハチミツ二郎さん。
近年は車椅子生活を送りながらも、芸人・父親・会社員として前向きに生きています。
この記事では、ハチミツ二郎さんの芸人としてのデビューから、病気と闘いつづけている現在までの経歴をまとめました。
ハチミツ二郎さんは現在、病や育児といった現実と向き合っています。
これを読めば、ハチミツ二郎さんの優しさや強さがきっと伝わるはずです!
ハチミツ二郎のwikiプロフィール!
まずはハチミツ二郎さんのwkiプロフィールを見ていきましょう!
項目 | 内容 |
---|---|
本名 | 高野 二郎(たかの じろう) |
生年月日 | 1974年11月20日(50歳) |
出身地 | 岡山県倉敷市 |
血液型 | O型 |
星座/干支 | 蠍座/寅年 |
所属 | 吉本興業 |
職業 | お笑い芸人、元プロレスラー、IT企業正社員 |
身長/体重 | 177cm/約100kg |
出身高校 | 東京都立代々木高等学校 |
最終学歴 | NSC東京校(1期生) |
ところで、『ハチミツ二郎』って面白い芸名ですよね。
一度聞けば忘れないインパクトがあります。
名前の由来は公表されていないものの、ファンの間では『クセになる名前』として親しまれています。
ハチミツ二郎のwiki経歴まとめ!芸人デビューから現在まで!
ハチミツ二郎さんの経歴は、お笑いだけではありません。
若い頃から現在に至るまで、芸人、AV男優、プロレスラー、会社員、そして父親と、さまざまな顔を持ち合わせています。
その道のりには、笑いと涙、そして病との闘いまでが詰まっています。
どこを切り取っても、とても波乱万丈の人生ですね!
そんなハチミツ二郎さんの経歴を詳しく見ていきましょう!
芸人デビューと初代「東京ダイナマイト」結成
ハチミツ二郎さんは、NSC東京校の第1期生として芸人を目指し始めました。
ところが卒業直前、ある社員に「お前、俺にケンカ勝てるか?」と尋ねられ、「5秒あれば」と返したところ、それがきっかけで卒業日にクビを告げられるという波乱のスタートに(笑)。
その後、浅草キッドが主催するライブ『浅草お兄さん会』で再びお笑いの舞台に立ちます。
ハチミツ二郎さんはインディーズ芸能事務所「トンパチ・プロ」を立ち上げ、自ら社長を務めます。
そして当時コンビを組んでいた曽根卍さんと初代「東京ダイナマイト」を結成しました。(後に解散)
同時期には、マキタスポーツさんやサンキュータツオさんと『カミナリボーイズ』というトリオを結成し、大川興業主催のライブ『すっとこどっこい』などにも出演してました。
余談ですが、ハチミツ二郎さんは、ピン芸人の猫ひろしさん名付け親でもあります。
さらにはネタやキャラクターの設定まで考案し、猫ひろしさんの芸人としての土台を支えました。
表舞台だけでなく、裏方としてもその手腕を発揮するハチミツ二郎さんのセンスはすごいですね。
猫ひろしさんは一時期、ハチミツ二郎さんの付き人を務めていたこともあり、師弟のような関係だったようです。
AV男優としての活動
AV監督のバクシーシ山下さんの誘いで撮影現場を訪れた際、人手が足りないという理由で急遽AV作品に出演。
これをきっかけにAV男優としての活動も始め、最終的には約80本もの作品に出演しました。
作品には、『ハチミツ二郎』という名前のままで出演していたことも驚きですね。
2代目「東京ダイナマイト」結成
2001年、ハチミツ二郎さんは松田大輔さんとのコンビ「東京ダイナマイト」を再結成。
所属はオフィス北野となり、本格的な活動をスタートしました。
(その後2008年にオフィス北野を退社。オスカープロモーションに移籍するが2009年に退社。現在、吉本興業所属。)
2004年と2009年には『M-1グランプリ』の決勝に進出、『THE MANZAI』でもファイナリストに残り話題になりました。
キレのあるツッコミと観察力を活かしたネタで、多くの笑いを生み出したハチミツ二郎さん。
ライブでは、ハチミツ二郎さん自らがTシャツや帽子などのグッズをデザインしています。
ブランド名は『TKD』。
お笑いにとどまらずデザインでもセンスを発揮しています。
また、近年Amazonプライムの『ドキュメンタル』でも存在感を放ち、ファン層を一気に拡大させました。
個人的には、静かに刺すようなハチミツ二郎さんのツッコミがクセになってます(笑)。
プロレスラーとしてのキャリア
驚くべきことに、ハチミツ二郎さんはプロレスラーとしても本格的に活動していた時期があります。
メキシコでルチャリブレのライセンスを取得するなど、本気度の高さが伝わってきますね。
2017年には大仁田厚さんと電流爆破マッチで対戦。
2019年には、アンドレザ・ジャイアントパンダとの試合で敗北し、丸坊主になったこともありました。
ここまで体を張る芸人って、今どきなかなかいませんよね。
正直、プロレスも本業レベルだったのでは?と思うほどの活躍です。
IT企業で正社員としてキャリア
ハチミツ二郎さんは2020年にはIT企業『ソノリテ』に正社員として就職。
芸人と会社員の二足のわらじ生活を始めました。
会議にも参加し、業務も真剣にこなしていたそうです。
SNSでもハチミツ二郎さんの働き方が話題になりました。
バイトではなく正社員として働く芸人って、かなり珍しいですよね。
こうした柔軟なキャリア選択ができるのも、ハチミツ二郎さんの魅力ではないでしょうか。
プライベートも波瀾万丈
ハチミツ二郎さんは2010年に元アイドルグループ『メロン記念日』斉藤瞳さんと結婚し公開結婚式を開催します。
ですが、2011年に離婚。
2012年には11歳年下の一般女性の真理子と再婚します。
一女を授かるも2021年に離婚。
当時小学3年生だった娘の親権はハチミツ二郎さんが持ち、現在もシングルファーザーとして育てています。
病気と「東京ダイナマイト」活動休止
ハチミツ二郎さんは2018年に急性心不全を発症し、命の危機に直面します。
さらに2020年には新型コロナに感染し、8日間意識不明に。
その後は腎臓の機能が大きく低下し、人工透析が必要になってしまいます。
母からの提供で腎移植も試みましたが、拒絶反応が出て失敗に終わります。
それでも芸人としての仕事と父親としての育児に全力で取り組む姿は素敵ですね!
2024年には体力の限界を感じ、コンビでの活動を休止することに。
この決断にはかなりの葛藤があったのではないでしょうか。
個人的にも胸が痛くなりました。
ハチミツ二郎の現在
ハチミツ二郎さんは現在、電動車椅子を使いながら、週に3回の透析治療を続けています。
透析、移植、車椅子と、過酷な状況ばかりです。
それでもハチミツ二郎さんは、芸人として、何より『父親』としての責任を果たそうと頑張っています。
SNSでは、手作りのご飯や娘との穏やかな日常を発信しています。
初めて娘(11才)が完全に1人でカレーを作って「どうぞ」と出してくれました。
娘が小学校低学年の頃に「いつかオレにカレーを作ってくれよ」と言ったことが叶いました。
だから今日はカレー記念日。
今まで食べたカレーで1番美味かった。 pic.twitter.com/soJ1x5BXlO— ハチミツ二郎 (@tokyodynamite) June 14, 2024
娘の卒業式@tokyodynamite #note https://t.co/prozUFYvgm
— ハチミツ二郎 (@tokyodynamite) March 25, 2025
ABEMAの密着番組では、闘病と育児を両立する姿が紹介され、多くの人に感動を与えました。
困難な状況でも前を向く姿には、ただただ頭が下がります。
誰しも、体調が悪いだけで仕事を休みたくなる日があると思います。
それでもハチミツ二郎さんは『誰かに笑ってほしい』という一心で、できる限りのことを続けています。
その姿に、私自身も刺激を受けました。
次は、そんなハチミツ二郎さんの病との戦いを見ていきましょう。
ハチミツ二郎の病歴と車椅子生活
一昨日までは面会出来る病院だったんだけど、今は面会禁止の病院に転院したからつまらない。
1日1時間半の点滴治療以外何もしてないから。暇だ。 pic.twitter.com/s9sLcPI8to— ハチミツ二郎 (@tokyodynamite) August 16, 2023
ハチミツ二郎さんは、長年の芸能生活のなかで複数の病と闘ってきました。
急性心不全から新型コロナの重症化、そして透析治療と車椅子生活。
その壮絶な人生を見ていくと、命をかけて『芸人』という道を貫く覚悟がひしひしと伝わってきます。
2018年に急性心不全
昨日
40度の高熱で三日間仕事してたら肺炎→急性心不全に。
NGKからタクシーでひとりで病院へ。救急治療室で、死ぬかもしれないと東京から家族とマネージャーも呼ばれましたが、嫁と子供が着いた頃には奇跡的に正常値近くまで戻ってました。NGKから病院行かずに新幹線に乗ってたら死んでたそうです。 pic.twitter.com/vy5p0vZUDA
— ハチミツ二郎 (@tokyodynamite) July 17, 2018
最初の異変は2018年に起きました。
ハチミツ二郎さんは、急性心不全を発症し緊急入院。
命の危険を伴う病気であり、芸人としての活動を一時休止する事態となりました。
このときの入院では一命を取り留めましたが、体調には波があり、本格復帰までには時間がかかりました。
正直、この頃は『太っている芸人』くらいのイメージしかなかった人も多かったのではないでしょうか。
しかし、病気と真剣に向き合う姿に、ハチミツ二郎さんに対する見方がガラッと変わったという声も少なくありません。
2020年新型コロナ感染
新型コロナウイルス陽性となり、重症化、危篤状態になっていました。
ICUで8日間眠り続け、1ヶ月入院。
現在は退院し、退院後のPCR検査も陰性。仕事も復帰しています。意識が戻った後、IUCでずっとテレビだけを観ていました。
フトン巻きのジローのCMが印象に残っています。 pic.twitter.com/vSi9IiBSVF— ハチミツ二郎 (@tokyodynamite) January 21, 2021
2020年12月、ハチミツ二郎さんは新型コロナウイルスに感染。
持病もあったことから重症化し、8日間も意識不明となりました。
目覚めたときには、すでに腎臓に深刻なダメージがあり、人工透析が必要な状態になっていたのです。
本人によると、ベッドで目を覚ましたときには首に管、腕には点滴、さらに声も出ないという状態だったそうです。
まるでドラマのワンシーンのような状況ですが、それが現実でした。
ここから週3回の透析治療が始まりました。
私もそのエピソードを知ったとき、正直言って鳥肌が立ちました。
これまで元気な姿しか見てこなかっただけに、ショックが大きかったです。
腎移植の失敗
1年前から準備して都内病院で腎移植手術を行いました。ドナーは母親でした。
が、手術は上手くいきませんでした。2/22~3/7まで2週間と言われていた入院が退院まで6週間以上掛かってしまい、THE SECONDも欠場となってしまいました。
来年もあるなら真っ先にエントリーさせて頂きます。— ハチミツ二郎 (@tokyodynamite) March 29, 2023
ハチミツ二郎さんは透析からの回復を目指し、腎移植を検討します。
最初は当時の妻の真理子さんがドナー候補でしたが、離婚によって断念することに。
代わって母親が腎臓を提供することになりました。
母から子への臓器提供は珍しくありませんが、それでも親にそんな負担をかけること自体、心情的にはとても重い決断だったはずです。
しかし移植手術は、拒絶反応が出てしまい、結果として成功しませんでした。
医療の厳しさを改めて突きつけられる結果になりました。
『ここまで頑張っても治らないのか』と感じた人は多いと思います。
正直、私もとてもやるせない気持ちになりました。
電動車椅子生活の始まり
電動車椅子さんぽがギャラクシー賞を受賞しました!@tokyodynamite https://t.co/2uN7EqSTBq
— ハチミツ二郎 (@tokyodynamite) May 20, 2025
ハチミツ二郎さんは2023年に敗血症性ショックにより再び緊急入院することに。
足に膿瘍ができ、歩行が困難になってしまいます。
現在は電動車椅子での生活を送っています。
一時は「車椅子で漫才に出るかもしれない」と本人が語っていたこともありましたが、体調を考慮して2024年に「東京ダイナマイト」としての活動を一時休止することに。
ハチミツ二郎さんは無理をせず、健康と育児を優先する方針に切り替えました。
生活は大きく変わりましたが、ハチミツ二郎さんはSNSなどで現在の状況を明るく発信しています。
娘さんとの時間や日常生活などが紹介され、フォロワーからも多くの応援が寄せられています。
ハチミツ二郎のwiki経歴まとめ!芸人デビューから車椅子の現在まで!まとめ
ハチミツ二郎さんは、お笑い芸人だけでなく、プロレスラーや会社員としても活躍してきました。
いつも新しいことに挑戦していて、本当にすごいと思います。
たくさんの病気を乗りこえながら、娘さんと明るく毎日を過ごしている姿を見ると、こちらも元気をもらえます。
また、病気や透析、車椅子での生活を正直に話す姿勢は、まさに芸人としての強さだと感じました。
体がきつい中でも、人を笑わせようとする気持ちには感動すらおぼえます。
これからも無理をせず、自分のペースで元気に活動を続けてほしいですね!
またいつか、元気な姿で舞台に立つハチミツ二郎さんを見られる日を楽しみにしています!