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いしだ壱成のwiki経歴・学歴|『ひとつ屋根の下』でブレイクした若い頃と現在

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1990年代に『ひとつ屋根の下』『未成年』『聖者の行進』などで人気を集めたいしだ壱成さん。

若い頃に大ブレイクした一方、活動休止や石川県への移住を経験しており、どのような道を歩んできたのか気になる人も多いでしょう。

また、屋久島で過ごした小学生時代や、13歳からのオーストラリア留学など、学歴も一般的な俳優とは大きく異なります。

この記事では、父・石田純一さんとの再会をきっかけに始まった芸能活動から、2022年の再起、個人事務所を設立した2026年現在までを紹介します。

出身小学校・中学校、高校や大学への進学状況、音楽学校で学んだ10代、プロフィールについても詳しくまとめました。

 

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いしだ壱成の経歴|若い頃のブレイクから2026年現在まで

いしだ壱成さんといえば、1990年代のドラマで見せた繊細な演技を思い浮かべる人が多いでしょう。

ところが、その歩みは華やかな時期だけではありません。

活動休止や地方移住を経験し、表舞台から遠ざかった時期もありました。

ここでは、16歳で父・石田純一さんと再会した頃から、俳優として再び歩き出した2026年現在までを時系列で紹介します。

主な出来事
1992年 ドラマ『悲しいほどお天気』で俳優デビュー
1993年 『ひとつ屋根の下』に出演し、一躍注目を集める
1994年 アルバム『WARNING』で歌手デビュー
1995年 ドラマ『未成年』で連続ドラマ初主演
1998年 ドラマ『聖者の行進』で主演を務める
2001年 大麻取締法違反で逮捕され、芸能活動を休止
2003年 芸能活動を再開
2011年 石川県と東京の二拠点生活を始める
2018年 石川県へ生活拠点を移し、芸能活動から離れる
2022年 東京へ戻り、俳優として再起を目指す
2023年 主演映画『散歩屋ケンちゃん』で父と初共演
2024年 個人事務所「ぷりますてら」を設立
2026年 舞台や映画、音楽番組など幅広く活動

 

16歳で父・石田純一と再会!1992年に俳優デビュー

いしだ壱成さんが芸能界へ入った大きなきっかけは、16歳で父・石田純一さんと再会したことでした。

いしだ壱成さんは1974年12月7日、石田純一さんと星川まりさんの長男として東京都に生まれています。

両親は壱成さんが2歳の頃に離婚したため、幼い頃は母親と暮らしていました。

父親の存在を知ったのは小学1年生の頃です。

母親がテレビに映っていた石田純一さんを見て、父親だと教えてくれたといいます。

しかし、すぐに交流が始まったわけではありません。

父子が実際に再会したのは、壱成さんがオーストラリア留学から帰国した16歳のときでした。

再会の場となったのは、石田純一さんの姉でピアニストの石田桃子さんが開いたコンサートです。

石田純一さんは当時、数々のトレンディードラマに出演していた人気俳優。

壱成さんにとっては、父親というより「テレビに出ている芸能人」という印象が強かったそうです。

翌日からは食事や撮影現場へ誘われるようになり、少しずつ交流が深まっていきます。

焼肉店で将来について話した際、音楽を続けたいと考えていた壱成さんに対し、石田純一さんは次のように勧めました。

「いやいや、テレビに出ようよ」

出典:Yahoo!ニュース オリジナル特集

この一言が、俳優への道を開きました。

壱成さんは父親の個人事務所に入り、『北の国から』などを手がけたフジテレビのプロデューサー・山田良明さんを紹介されます。

そして1992年、ドラマ『悲しいほどお天気』で俳優デビュー

同年には、観月ありささんが主演したドラマ『放課後』にも出演しました。

演技経験がほとんどない状態からのスタートでしたが、中性的な雰囲気と自然な演技が目を引き、若手俳優として注目され始めます。

なお、公式プロフィールでは『悲しいほどお天気』がデビュー作とされています。

一方、本人が芸能界で手応えを得た作品として語っているのは『放課後』です。

2作品はいずれも、1992年の俳優生活を語るうえで欠かせない作品といえるでしょう。

 

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『ひとつ屋根の下』『未成年』『聖者の行進』で人気俳優へ

いしだ壱成さんの名前が全国に広まったのは、1993年に放送されたフジテレビ系ドラマ『ひとつ屋根の下』でした。

演じたのは、柏木家の三男・和也です。

車いすで生活する繊細な青年という難しい役でしたが、壱成さんは心の揺れを丁寧に表現しました。

同作は最高視聴率37.8%を記録する大ヒットとなり、江口洋介さんや福山雅治さん、酒井法子さんらと共演した壱成さんも一気に人気俳優の仲間入りを果たします。

その後も話題作への出演が続きました。

  • 1993年:『じゃじゃ馬ならし』
  • 1994年:『君といた夏』
  • 1995年:『未成年』
  • 1997年:『ひとつ屋根の下2』
  • 1998年:『聖者の行進』
  • 1999年:『リップスティック』『ピーチな関係』
  • 2000年:『花村大介』

なかでも大きな転機となったのが、1995年に放送されたTBS系ドラマ『未成年』です。

壱成さんは高校生の戸川博人役を演じ、連続ドラマで初めて主演を務めました。

香取慎吾さん、反町隆史さん、河相我聞さん、北原雅樹さんらとの共演も話題になり、平均視聴率は20%を超えています。

1998年には、同じく野島伸司さんが脚本を担当した『聖者の行進』で主演を務めました。

知的障害のある青年・町田永遠を演じ、強く印象に残る演技を見せています。

華やかな役だけでなく、心に傷や悩みを抱える人物を自然に演じられる点が、壱成さんの大きな魅力でした。

俳優業と並行し、音楽活動にも力を入れています。

1994年にはアルバム『WARNING』で歌手デビュー

その後もシングルやアルバムを発表し、DJやバンド活動にも取り組みました。

中性的なファッションや髪形も若者から支持され、武田真治さんらとともに「フェミ男」ブームを代表する存在になります。

俳優、歌手、ファッションアイコンという複数の顔を持ち、1990年代を駆け抜けた若手スターでした。

 

2001年の活動休止と2003年の復帰、石川県への移住

人気俳優として順調に見えたいしだ壱成さんですが、心の中では大きな負担を抱えていました。

本人によると、1997年初頭にはうつ状態となり、撮影現場で周囲と話せず、楽屋へ戻ってしまう日もあったそうです。

当時は、心の病気に対する理解が今ほど広がっていませんでした。

周囲から求められる「いしだ壱成」と、本名の星川一星としての自分との間に差を感じ、次第に苦しくなっていったと振り返っています。

さらに2001年8月、大麻取締法違反で逮捕され、芸能活動を休止しました。

『ひとつ屋根の下』や『未成年』で築いた人気は大きく揺らぎ、出演予定だった舞台も降板しています。

約2年間の休止を経て、2003年に芸能活動を再開しました。

ただし、以前のように連続ドラマへ次々と主演する形ではありません。

映画や舞台、音楽を中心に、少しずつ仕事へ戻っていきました。

2009年には、舞台『新・罪と罰』で主演を務めます。

当時の取材では、休養中も芝居をしたいという思いを持ち続けていたと明かしました。

2010年には中国へ渡り、歴史ドラマ『恕の人-孔子伝-』で顔回役を演じています。

生活面で大きな変化があったのは2011年秋です。

壱成さんは、石川県白山市鶴来と東京を行き来する二拠点生活を始めました。

東京での暮らしに違和感があり、都会から少し離れたいと考えたのが移住の理由です。

石川県では、白山比咩神社に近い家賃約4万円の2DKを借りました。

自然に囲まれ、人の温かさにも触れられる環境でしたが、地方で俳優を続ける難しさにも直面します。

ドラマや映画の撮影は東京が中心です。

石川県から通うと交通費がかかり、地元で演技指導をしても安定した収入にはつながりませんでした。

2018年には石川県へ生活拠点を完全に移し、一般企業で働く道を探します。

ハローワークへ通い、コンビニや工場など20社以上に応募しましたが、仕事は決まりませんでした。

生活が苦しくなり、一時期は生活保護を受給したと本人が明かしています。

精神的にも追い詰められましたが、双極性障害による気分の波を把握したことで、少しずつ病気との付き合い方を見つけたそうです。

石川県で過ごした約10年間は、仕事や生活を一度立ち止まって見つめ直す時期となりました。

 

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2022年に再起!個人事務所設立と2026年現在の俳優活動

いしだ壱成さんが再び俳優として動き始めたのは、2022年です。

3度目の離婚後、約10年半に及んだ石川県での生活を終え、活動拠点を東京へ戻しました。

同年5月のインタビューでは、俳優への思いを次のように語っています。

「もう自分には俳優しかない」

出典:ENCOUNT

地方で仕事がなかなか決まらず、自分に何ができるのかを考えた末、改めて俳優への気持ちに気づいたと説明しています。

同年7月には、主演映画『100日後に退職する47歳』の撮影終了を報告しました。

かつての人気に頼るのではなく、自ら企画を出したり、仕事を得るために各地へ足を運んだりする再出発でした。

2023年には、主演映画『散歩屋ケンちゃん』が公開されます。

同作では、父・石田純一さんと映像作品で初共演を果たしました。

生き別れた父と息子を描く物語だったため、長い年月を経て関係を築いてきた2人の共演にも注目が集まっています。

2024年には、個人事務所「株式会社ぷりますてら」を設立しました。

同年9月公開の映画『100秒の拳王-ケンカバトルロワイアル-』にも出演しています。

2025年以降も、映像作品や舞台への出演が続きました。

  • 『CONNECT 覇者への道』:上杉義武役
  • 舞台『流れる雲よ 令和7年より愛を込めて』:井上洋二役
  • 舞台『はんぶんホントのストーリー モデルドリームズ2025』:宮野博丸役

2026年2月には、舞台『黒革の手帖』で安島富夫役を務めました。

6月には『テレ東音楽祭2026夏』へ出演し、歌手としてもテレビの舞台に立っています。

さらに、2026年8月に上映された映画『星の砂』では、榎森俊介役を担当しました。

8月22日には、シネマハウス大塚で行われる上映後の舞台あいさつにも登壇予定です。

一方、30代後半から薄毛に悩み、容姿への心ない言葉で自信を失った時期もあったと明かしています。

2022年にトルコで自毛植毛を受けた後は、髪形の選択肢が増え、俳優として前向きな気持ちを取り戻したそうです。

「役者としてもここからが第二の人生。もっともっと腕を磨いて駆け上がっていくだけです」

出典:女性自身

活動休止や地方移住を経験した今は、苦労も演技に生かしながら、映画や舞台を中心に俳優としての歩みを進めています。

 

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いしだ壱成の学歴|小学校からオーストラリア留学まで

いしだ壱成さんの学歴を調べると、小学校の転校やオーストラリア留学など、一般的な進学とはかなり異なる歩みが見えてきます。

屋久島では電気や水道のない環境で暮らし、10代になると自分で海外の学校を探しました。

ただし、学校名には本人や公的機関が公表していない情報もあります。

ここでは、確認できた事実と断定できない情報を分けながら紹介します。

時期 学校・教育歴 偏差値
小学校 東京の小学校から屋久島へ移り、最後は山梨県の長坂町立小泉小学校を卒業したとされる 公立小学校のためなし
中学校 練馬区立三原台中学校に在籍したとされる 公立中学校のためなし
13~16歳 オーストラリアのフリースクールへ留学 なし
高校 一般的な高校へ進学した記録は確認できない 該当なし
音楽学校 アン・ミュージック・スクールで学んだとされる なし
大学 進学した記録は確認できない 該当なし

 

出身小学校はどこ?屋久島での生活と山梨への転校

いしだ壱成さんは、東京都内の小学校へ入学した後、小学3年生のときに母親と鹿児島県の屋久島へ移りました

屋久島で送ったのは、都会とはまるで違う毎日です。

本人のインタビューによると、当時の住まいには電気、ガス、水道が通っていませんでした。

畑で野菜を育て、海で魚を捕り、山では木の実を採って食べていたそうです。

ヤギも飼っており、その乳を飲んでいました。風呂は薪で沸かしたドラム缶風呂です。

楽しそうにも見えますが、実際には自然の厳しさと隣り合わせの生活だったでしょう。

いしだ壱成さんにとって当時の屋久島は、一般社会が海の向こうにあるように感じるほど、都会から離れた環境だったといいます。

屋久島での暮らしは、台風によって大きく変わりました。住んでいた家が全壊したため、小学6年生の途中で山梨県北巨摩郡長坂町へ移ります

現在の北杜市にあたる地域です。

出身小学校は、長坂町立小泉小学校とされています。

同校は市町村合併後に北杜市立小泉小学校となり、2013年3月に閉校しました。

東京、屋久島、山梨と、小学生のうちに生活の場が何度も変わりました。

学校や友人が変わる環境の中で、壱成さんは各地の異なる暮らしを経験しています。

 

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出身中学は練馬区立三原台中学校?13歳からオーストラリア留学

練馬区立三原台中学校

いしだ壱成さんの出身中学校は、東京都の練馬区立三原台中学校といわれています。

中学時代にはサッカー部へ入り、部活動にも取り組んでいたと伝えられています。

しかし、日本の学校に通い続ける道は選びませんでした。

自分の将来を考えた末、海外のフリースクールで学ぶと決めたからです。

本人は2023年のインタビューで、留学期間をはっきりと明かしています。

「13歳から16歳までの3年間は、ずっとオーストラリアに海外留学をしていました。」

出典:テレ朝POST

留学先を決める際には、自分で入学希望の手紙を書き、海外のフリースクールへ送ったそうです。

まだ13歳ほどの少年が、見知らぬ国の学校へ自ら連絡を取ったのですから、その行動力には驚かされます。

選んだのは、オーストラリアにあるフリースクールでした。

校名は明かされていません。

ヒッピーやフラワーチルドレンの次の世代が暮らすコミューンにあり、一般的な学校とは異なる自由な環境だったといいます。

現地では英語を勉強しながら、さまざまな国や背景を持つ仲間と交流しました。

音楽配信サイトのプロフィールでは、留学先をシドニーのフリースクールと紹介しています。

 

高校・大学には進学せず、アン・ミュージック・スクールへ

いしだ壱成さんは、オーストラリアから帰国した後、一般的な高校には進学せず、音楽学校のアン・ミュージック・スクールへ進んだとされています。

ただし、本人の公式プロフィールでは在籍期間や専攻コースまで公表されていないため、詳しい通学状況は不明です。

アン・ミュージック・スクールは、ジャズピアニストの佐藤允彦さんが1967年に設立した音楽学校でした。

ギター、ピアノ、キーボード、ベース、ドラム、作曲など、音楽に関する幅広いコースが設けられています。

ただし、高校卒業資格を取得できる高等学校ではありません。

入学に学力試験を必要とする学校でもなかったため、一般的な偏差値もありません。

同校は2019年12月に閉校しました。

いしだ壱成さんのほか、ギタリストの渡辺香津美さん、音楽プロデューサーの後藤次利さん、作曲家の鷺巣詩郎さんなど、多くの音楽家を輩出した学校として知られています。

大学についても、進学したと確認できる資料はありません

アン・ミュージック・スクールで音楽を学んだ後は、演奏や芸能の現場で経験を積んでいきました。

いしだ壱成さんの最終学歴を一般的な学校制度だけで表すのは難しいでしょう。

高校や大学へ進む道は選びませんでしたが、海外のフリースクールや音楽学校で自分の関心に合った学びを続けています。

10代で身につけた音楽の知識や感覚は、後の歌手、DJ、俳優としての活動にも生かされたと考えられます。

 

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いしだ壱成のwikiプロフィール|本名・年齢・身長・家族を紹介

いしだ壱成さんは、俳優だけでなく、歌手やDJとしても活動してきました。

ここでは経歴の説明を繰り返さず、2026年8月時点の基本情報と家族関係を簡潔にまとめます。

芸名 いしだ壱成(いしだ いっせい)
本名 星川一星(ほしかわ いっせい)
生年月日 1974年12月7日
年齢 51歳(2026年8月時点)
出身地 東京都
身長 177cm
血液型 B型
職業 俳優、歌手、タレント、DJ
活動開始 1992年
所属 株式会社ぷりますてら
父親 石田純一(俳優)
母親 星川まり
異母妹 すみれ(モデル・俳優)
祖父 石田武(元NHKアナウンサー)
結婚歴 3回(いずれも離婚)
現在の婚姻状況 2026年8月時点で再婚の発表は確認されていない

本名は「星川一星」です。芸名の「壱成」と読み方は同じですが、使用している漢字が異なります。

DJとして活動する際には、「iSSEi iSHiDa」という名義も使ってきました。

父親は俳優の石田純一さん、母親は星川まりさんです。

父方の祖父・石田武さんは元NHKアナウンサーで、両親の離婚後も壱成さんを支えました。

異母妹のすみれさんも、モデルや俳優として活動しています。

いしだ壱成さんには、3回の結婚歴があります。

最初は2003年に元タレントの三宅えみさんと結婚し、2006年に離婚しました。

2014年には11歳年下の一般女性と再婚しましたが、2017年に離婚しています。

2018年には、24歳年下の元俳優・飯村貴子さんと3度目の結婚をしました。

同年に長女が誕生したものの、2021年に離婚しています。

2024年には交際相手との4度目の結婚に前向きな姿勢を見せていました。

ただし、2026年8月時点では新たに結婚したという公式発表は確認されていません。

 

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まとめ|いしだ壱成の経歴・学歴と俳優としての再出発

いしだ壱成さんは、小学生の頃に東京から屋久島、山梨へ移り、13歳から16歳まではオーストラリアで学びました。

一般的な高校や大学へ進む道ではなく、帰国後は音楽と芝居の現場で経験を重ねています。

1990年代に人気俳優となった後は、活動休止や石川県への移住も経験しました。

それでも2022年に東京へ戻り、2024年には個人事務所を設立。2026年現在も映画や舞台に立ち続けています。

遠回りに見える時期も、いしだ壱成さんにとっては表現を深める時間だったのでしょう。

さまざまな経験を重ねた今、どのような役を見せてくれるのか、これからの活動にも注目したいですね。

 

 

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