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モデルやタレントとして一世を風靡したマリエさんですが、テレビで見かけなくなった後、どのような道を歩んできたのか気になる方も多いでしょう。
11歳でモデル活動を始め、「ViVi」や「笑っていいとも!」などで活躍した後、ニューヨークへ留学。現在はデザイナーや母親として、新たな活動を続けています。
この記事では、マリエさんのモデルデビューから現在までの経歴をはじめ、聖心女子学院初等科、六本木中学校、千歳丘高校を経てパーソンズで学んだ学歴を詳しく紹介します。
本名や年齢、家族構成などのプロフィールもまとめていますので、マリエさんが歩んできた道を時系列で知りたい方は、ぜひ最後までご覧ください。
マリエ(モデル)の経歴|11歳のモデルデビューから現在まで
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マリエさんといえば、2000年代のバラエティ番組で活躍した「セレドル」の姿を思い浮かべる方も多いでしょう。しかし、これまでの経歴をたどると、モデルやタレントだけでなく、デザイナーやブランド経営など、活動の軸を大きく変えてきた人物だとわかります。
11歳ごろにモデルの世界へ入り、2005年にはファッション誌「ViVi」への出演で注目を集めました。
その後はテレビで一気にブレイクしますが、人気絶頂のなかでニューヨークへ渡りました。
帰国後はファッションの作り手に回り、2017年には自身のブランドをスタート。
2022年には第1子を出産し、現在は母親としての生活と仕事を両立しながら、サステナブルな暮らしについても発信しています。
| 時期 | 主な経歴 |
|---|---|
| 11歳ごろ | 姉の影響などを受け、モデル活動を始める |
| 2005年 | 「ViVi」への出演で注目され、「世界バリバリ★バリュー」などをきっかけにタレント活動を本格化 |
| 2006年 | NHKドラマ「マチベン」で女優デビュー |
| 2007~2010年 | 「笑っていいとも!」のレギュラーとして出演 |
| 2011年 | ニューヨークのパーソンズでファッションを学ぶ |
| 2017年 | 「PASCAL MARIE DESMARAIS」を立ち上げる |
| 2022年 | 第1子を出産 |
| 現在 | デザイナーやブランド運営を軸に、環境やサステナビリティに関する活動にも取り組む |
ここからは、華やかな芸能界でブレイクした時代から、ファッションの作り手へ進んだ現在までを順番に見ていきます。
11歳でモデル活動を開始|「ViVi」出演を機に注目を集める
やっぱりこの頃の表紙と比べると今の #ViViモデル は小物感半端ない... 🤔...。#藤井リナ #長谷川潤 #マリエ #水原希子 #ローラ #渡辺知夏子
ローラがこんな端っこよ。 #ViVi pic.twitter.com/iNzso5bYPX
— ♛QUEENマギコ✡DELUXE♛™公式🇮🇹🇯🇵🇺🇸🌍 (@BlackAngelJOKER) May 31, 2017
マリエさんの芸能活動は、11歳ごろから始まりました。
インタビューによると、姉がモデルをしていた影響もあり、自身もモデルの世界へ進んだそうです。当時はスターダストの事務所に所属し、子ども向けの雑誌や漫画誌「なかよし」のカラーページなどに出演していました。
ただし、子どものころから芸能界を一生の仕事にすると決めていたわけではありません。周囲には歌手や医師など明確な夢を持つ人がいる一方、自分には将来やりたい仕事が見つからず、10代のころは焦りや孤独も感じていたといいます。
「でも、10代の私は夢がありませんでした。何をしたいとか、これをやって一生食べていきたいとか、私のお父さん、お母さんも別に継ぐような職人肌の仕事ではないと思った時に、すごく孤独を感じたのが自分の実際の10代でした。」
引用元:フェリシモ
そんなマリエさんが広く知られるきっかけのひとつとなったのが、2005年の活動です。ファッション誌「ViVi」に登場し、モデルとして注目を集める一方、毎日放送の「世界バリバリ★バリュー」などテレビにも出演するようになりました。
11歳ごろに始めたモデルの仕事が、10代後半になるとテレビの世界へつながっていったのです。この時期を境に、マリエさんはファッション誌の読者だけでなく、幅広い世代から知られる存在になっていきました。
「セレドル」としてブレイク|「笑っていいとも!」などで活躍
2005年以降、マリエさんは「セレブなアイドル」を略した「セレドル」というキャラクターで注目されました。当時は若手女性タレントのなかでも個性が際立ち、率直な話し方と華やかなイメージによって、バラエティ番組への出演が急増します。
2006年にはNHKのドラマ「マチベン」で女優デビュー。さらに2007年から2010年まで、フジテレビ系「笑っていいとも!」のレギュラーを務めました。
モデルだけにとどまらず、テレビドラマ、バラエティ、CMと活動範囲を広げていった時期です。
神戸学校での本人の説明によると、最も忙しかった時期にはラジオを含めて週9本ほどのレギュラーを抱えていたといいます。
18歳から約5年間、テレビを中心とした生活を送っていました。
- 「笑っていいとも!」にレギュラー出演
- NHKドラマ「マチベン」で女優デビュー
- 藤井リナさんと「TOKYO本音モデルズ」に出演
- ユニクロなどの広告に起用
- ファッションショーや雑誌でもモデルとして活動
一見すると、仕事は順風満帆です。しかし本人の内側では、少しずつ別の思いが膨らんでいました。有名になるという目標を達成しても、自分が本当にやりたい仕事を見つけたという実感には結びつかなかったからです。
インタビューでは、18歳の時点で芸能活動に本格的に取り組む際、5年間という区切りを自分の中で決めていたと語っています。
つまり、テレビから突然方向転換したわけではありません。若いころからファッションを本格的に学びたいという思いを抱えながら、目の前の芸能活動に全力で取り組んでいたのです。
華やかな「セレドル」というイメージだけを見ると意外に感じるかもしれません。しかし、この時期に積んだ経験は、後にデザイナーや発信者として活動する際にも生かされていきます。
人気絶頂期からニューヨーク留学へ|芸能活動から距離を置いた理由
マリエさんの経歴で大きな転機となったのが、2011年のニューヨーク留学です。
テレビを中心に多忙な日々を送っていた時期から活動のペースを変え、以前から関心を持っていたファッションと向き合う道を選びました。
インタビューでは、10代のころから摂食障害や不眠に苦しんでいたと紹介されています。人気タレントとして忙しい毎日を送る一方、心身には大きな負担がかかっていたようです。本人は限界を感じた末、海外留学を決めたと振り返っています。
また、パーソンズへの関心は留学を決めた時期に突然生まれたわけではありません。本人のインタビューによれば、12歳ごろに父親から将来のライフプランを考えるよう言われ、進路を調べるなかでパーソンズを知ったといいます。
「父に言われたから調べたことではあるんですが、それがいつの間にか自分の夢になっていた。不思議ですよね。」
引用元:Hint-Pot
こうした背景を踏まえると、ニューヨーク行きは単に芸能界を離れるための選択ではなかったとわかります。以前から抱いていたファッションへの思いと、自分自身の生活を見直したいという気持ちが重なり、新しい環境へ進む決断につながったのでしょう。
なお、パーソンズで受講したコースや期間など、具体的な学校情報については後の『学歴』で詳しく紹介します。
帰国後はデザイナーへ|「PASCAL MARIE DESMARAIS」を立ち上げ
とうとう!本日19:00~マリエさんのブランド「PASCAL MARIE DESMARAIS」から第一弾となるTシャツが販売開始。72枚限定ですよ。 #PMD #PASCALMARIEDESMARAIS #マリエhttps://t.co/BrI3ARFUMO pic.twitter.com/p66j7as6eA
— RETOY'S web Magazine (@RETOYSweb) June 11, 2017
ニューヨークで学んだ後、マリエさんはテレビ中心だった活動スタイルを変えていきました。
帰国後に力を入れたのが、ファッションの「着る側」ではなく「作る側」の仕事です。
すぐに自分のブランドを始めたわけではありません。神戸学校での講演によると、企業のユニフォームデザインなどを手がけながら、デザイナーとして経験を積んでいます。
モデルとして完成した服を着てきた経験に、海外で学んだ知識が加わり、活動の軸が少しずつ変化していきました。
そして2017年6月、自身がデザイナーを務めるファッションブランド「PASCAL MARIE DESMARAIS(パスカル マリエ デマレ)」をスタートさせます。
ブランド作りで大切にしてきたのは、単に流行の服を大量に生み出す考え方ではありません。日本各地の職人や生産現場にも目を向け、長く使える服や、作り手の背景が見えるファッションを追求してきました。
モデル時代からファッションに囲まれてきたマリエさんですが、デザイナーへの転身は肩書きを変えただけではないでしょう。自分が本当に伝えたい価値を、服という形にして届ける仕事へ進んだ点に大きな違いがあります。
また、メディアで培った発信力も新しい仕事につながりました。ファッションに関する講師活動などにも取り組み、自身が学んできた経験を若い世代へ伝えています。
10代でモデル、18歳ごろから人気タレント、20代でニューヨークへ渡り、その後はデザイナーへ。一見すると別々の仕事に見えますが、キャリアを一本につないでいるのは、子どものころから身近にあったファッションでした。
第1子出産を経た現在|結婚の公表はなくサステナブルな活動にも注力
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マリエさんは2022年6月に妊娠を公表し、同年10月に第1子となる女の子を出産しました。
インタビューによると、初めての出産はメキシコで迎え、娘にはスペイン語で「波」を意味する「Ola(オラ)」と名付けたことも明かしています。
一方、出産を公表したことで、結婚しているのか気になる方もいるでしょう。しかし、確認できる公表情報の範囲では、マリエさん本人から結婚したという発表は見当たりません。子どもの父親やパートナーについても、本人から詳しく語られていません。そのため、現在の結婚状況については、公表されている情報だけでは確認できないのが実情です。
出産後も、マリエさんはファッションを軸に活動を続けています。なかでも力を入れてきたテーマが、オーガニックやサステナブルな暮らしです。こうした考え方の背景には、自身の体調と向き合いながら食生活を見直した経験がありました。
「ニューヨークの暮らしは、日本より肌に合い楽に感じました。大好きなファッションと向き合える環境で自分を見つめなおすうちに徐々に元気を取り戻し、自分の心と体を大切にしようとまずは食生活の改善に取り組みました。無農薬や自然農法の野菜を選ぶうちに、環境問題にも関心が向くようになって。そして、自分の体にプラスになることが、地球の健康にもつながっているという気づきにたどり着いたんです。」
引用元:一般社団法人日本有機農産物協会
自身のブランドでは、オーガニックコットンをはじめ、素材がどこでどのように作られたのかという生産背景にも目を向けています。
本人はアパレル業界が環境や労働者に与える影響を知った経験から、服を作る側として消費者の選択肢を少しずつ変えていきたいという考えを発信してきました。
- 自身のブランドを通じたファッション活動
- オーガニックやサステナブルな暮らしに関する発信
- 環境や生産背景に配慮した素材選び
- 自身の経験を生かした食生活や健康についての情報発信
- 第1子を育てながら続けるクリエイティブな活動
かつて「セレドル」としてテレビで注目を集めたマリエさんですが、現在は母親としての生活を送りながら、ファッションと環境を結びつけた活動へ軸足を移しています。
結婚やパートナーについては本人が詳しく公表していないため、私生活を推測することはできません。
それでも、モデルやタレントとして培った発信力を生かし、自分が大切だと感じるテーマを伝え続けている点は、現在のマリエさんを知るうえで欠かせない部分でしょう。
マリエ(モデル)の学歴|小学校・中学・高校からパーソンズ留学まで
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マリエさんの学歴をたどると、学校選びとファッションへの興味が深く結びついていたとわかります。
小学生でモデル活動を始めた後は転校を経験し、中学と高校では海外留学にも挑戦しました。高校卒業後は日本の大学へ進学せず、芸能活動を経てニューヨークのパーソンズでファッションを学んでいます。
ただし、パーソンズについては一般的な4年制の学位課程を卒業したわけではありません。学歴を正しく知りたい方に向けて、確認できる情報をもとに小学校から順番に整理します。
| 学校区分 | 学校名 | 補足 |
|---|---|---|
| 小学校 | 聖心女子学院初等科 | モデル活動を始めた後に転校したとされる |
| 中学校 | 港区立六本木中学校 | オーストラリアへの短期留学を経験 |
| 高校 | 東京都立千歳丘高等学校 | 偏差値は43前後と紹介されている |
| 大学 | 日本の大学には進学せず | 後にニューヨークのパーソンズで社会人向けプログラムを受講 |
小学校は聖心女子学院初等科|芸能活動が禁止されていたため転校

マリエさんが通っていた小学校として知られているのが、東京都港区にある聖心女子学院初等科です。
当時、同校では芸能活動が認められていなかったとされており、小学生でモデルの仕事を始めたマリエさんは、学校生活と芸能活動のどちらを選ぶかという状況に直面しました。
本人は後年のインタビューで、12歳ごろにモデルを続けるため学校を辞めたいと両親へ伝えたと振り返っています。教育を重視していた母親は反対しましたが、父親からは20歳までのライフプランを考えるよう求められたそうです。
「モデルの仕事を続けたいから学校をやめたい」
引用元:Hint-Pot
つまり、聖心女子学院初等科からの転校には、モデル活動を続けたいという本人の意思が大きく関係していたと考えられます。
なお、聖心女子学院初等科を離れた後は公立小学校へ転校したとする情報があります。ただし、転校先の学校名については確かな公表資料を確認できないため、具体的な校名は断定できません。
中学は港区立六本木中学校|オーストラリアへの短期留学を経験

マリエさんの出身中学校として知られているのは、東京都港区にある港区立六本木中学校です。
中学時代のマリエさんは、日本で学校生活を送るだけでなく、オーストラリアへの短期留学も経験したとされています。留学期間は約3か月と紹介されており、現地では寮生活を送りました。
オーストラリアでの生活では、日本とは異なる学校文化に触れたことが大きな刺激になったようです。特に、普段から自分の好きな服を着て学校生活を送れる環境は、ファッションへの関心が強かったマリエさんにとって新鮮な経験でした。
中学生という早い時期に海外の文化や価値観に触れた経験は、その後の進路にも少なからず影響したと考えられます。
六本木中学校で過ごした時期は、学校生活とモデル活動を続けながら、海外で新しい環境にも触れた時期でした。オーストラリアで自分らしい服装や異なる文化に接した経験は、10代のマリエさんにとって視野を広げる機会になったといえるでしょう。
高校は東京都立千歳丘高校|アメリカ留学で写真とアートに出会う

マリエさんの出身高校として知られているのは、東京都世田谷区にある東京都立千歳丘高等学校です。都立の共学校で、偏差値は43前後とされています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 学校名 | 東京都立千歳丘高等学校 |
| 所在地 | 東京都世田谷区船橋3丁目18番1号 |
| 学校区分 | 都立・共学 |
| 学科 | 普通科 |
| 偏差値 | 43前後 |
高校時代にはアメリカへの留学も経験したとされています。
この留学でマリエさんが強く引かれたのが、写真やアートの世界でした。
フェリシモの「神戸学校」で行われた本人の講演では、16歳ごろから写真が好きになり、自分で撮影した写真を暗室で現像していたと振り返っています。モデルとしてカメラの前に立つだけでなく、自分で作品を生み出す楽しさにも触れていた時期だったようです。
写真は言葉を使わなくても、自分が見た景色や感じた気持ちを表現できます。海外という慣れない環境のなかで写真やアートに触れた経験は、表現する側への関心を深めるきっかけになったのでしょう。
中学時代のオーストラリア短期留学が異文化に触れる経験だったとすれば、高校時代のアメリカ留学は、写真やアートという表現に目を向ける機会になったといえます。
後にニューヨークでファッションを本格的に学ぶマリエさんにとって、10代でクリエイティブな世界に触れた経験は、その後の進路につながる大切な土台になったのでしょう。
大学には進学せず|20代で名門パーソンズの社会人向けコースへ
マリエさんは東京都立千歳丘高等学校を卒業後、日本の大学には進学せず、モデルやタレントの仕事を本格化させました。

その後、20代になってからニューヨークへ渡り、世界的に知られるデザインスクール「パーソンズ」でファッションを学んでいます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 高校卒業後 | 日本の4年制大学への進学は確認されていない |
| 留学先 | パーソンズ(Parsons School of Design) |
| 所在地 | アメリカ・ニューヨーク |
| 留学時期 | 2011年 |
| 受講形態 | 本人は「Continuing Education」と説明 |
| 学士号 | 取得を示す公表情報は確認できない |
パーソンズは、ファッションやデザイン分野で高い知名度を持つ学校です。マリエさんは以前から同校で学ぶ目標を持っていましたが、高校卒業後すぐに進学したわけではありません。まず芸能活動に力を注ぎ、その後、自分にとって必要な時期に学びの場へ向かいました。
神戸学校の講演では、通常2年間で学ぶ10科目を1年間で履修したという趣旨の説明をしています。縫製やパターン制作、イラストレーションなどを学び、モデルとして服を着るだけでは知る機会が少なかった、服作りの技術や考え方に触れたそうです。
「私は何歳になっても大学に行っていいと思います。」
引用元:フェリシモ
この言葉からも、マリエさんが高校卒業後すぐに大学へ進む形だけを「学び」と考えていなかった様子が伝わってきます。芸能界で経験を積んだ後、自分が本当に学びたい分野がはっきりした段階でニューヨークへ向かった点は、マリエさんの学歴を知るうえで重要です。
また、パーソンズで学んだ経歴があるからといって、4年制大学を卒業して学士号を取得したとは限りません。マリエさんの場合は、本人が「Continuing Education」と説明している点を踏まえ、最終学歴は高校卒業とみられ、その後パーソンズで専門的にファッションを学んだと整理するとわかりやすいでしょう。
高校卒業後すぐに大学へ進学しなくても、社会に出てから必要な分野を学ぶ道があります。
マリエさんは芸能活動を経験した後に学び直し、そこで得た知識を後のファッション活動へつなげました。学歴だけを見れば少し複雑に映りますが、自分のタイミングで学ぶ場所を選んだ歩みは、現在のデザイナーとしての活動につながる大切な経験になったといえます。
マリエ(モデル)のプロフィール|本名・年齢・出身地・家族構成
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マリエさんは1987年6月20日生まれ、東京都出身のモデル・デザイナーです。父親がフランス系カナダ人、母親が日本人で、3姉妹の末っ子として育ちました。
モデルやタレントとして知られる「マリエ」という名前だけでなく、活動によっては「Marie Pascal」やブランド名の「PASCAL MARIE DESMARAIS」も使用しています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 活動名 | マリエ |
| 名前 | 玉木パスカルマリエとして広く紹介されている |
| 生年月日 | 1987年6月20日 |
| 出身地 | 東京都 |
| 身長 | 170cm |
| 職業 | モデル、デザイナー、タレント |
| 家族構成 | 父、母、姉2人の5人家族で育つ |
| 子ども | 2022年10月に第1子を出産 |
父親はF1に関わる仕事をしており、本人のインタビューによると、アイルトン・セナの日本でのマネジメントやレーサー育成、オイル関連の仕事などに携わっていたといいます。母親については元客室乗務員で、家業の経理にも関わっていたと紹介されています。
テレビでは裕福な家庭に育った「セレドル」として売り出されましたが、本人は幼いころから自分の家庭を特別なお金持ちだとは感じていなかったと語っています。父親の仕事や家庭環境については時期によって状況が変わっており、テレビ上のキャラクターだけでは見えない背景もあったようです。
また、2026年のインタビューでは、約6年前に家族との関係に区切りをつけ、戸籍を抜く決断をしたと本人が明かしました。詳しい事情については家族の名誉を理由に語っていません。
まとめ|マリエ(モデル)の経歴と学歴を振り返り
マリエさんは11歳ごろからモデルとして活動し、「ViVi」や「笑っていいとも!」などを通じて広く知られるようになりました。その後はニューヨークでファッションを学び、現在はデザイナーとして自分らしい道を歩んでいます。
学歴を見ると、聖心女子学院初等科から転校し、港区立六本木中学校、東京都立千歳丘高等学校へ進んだとされています。高校卒業後は日本の大学へ進学せず、20代でパーソンズの社会人向けプログラムに挑戦しました。
華やかな芸能活動だけではなく、海外留学や学び直し、ブランド設立、そして出産と、人生の節目ごとに新しい道を選んできたマリエさん。
これまでの経験を生かしながら、ファッションや環境分野でどのような活動を広げていくのか、今後にも注目したいですね。